参加者インタビュー Vol.1
合同会社Morry inc.
CEO 森 達郎 様
実は、人見知りなんです。ただ、その恐怖心よりも人への興味が強くて話しかけちゃう。
どんな子供でしたか?
子供の頃から「自ら目立つことはしないけど人と違うことをしたい」「人に迷惑をかけることはしたくない」そんな考えを持っていました。チャレンジすることが好きで、生徒会長もやっていました。母が、昔食堂を経営していたり、父はゼネコンで活躍しており、そのような両親の姿も見て育つことが出来ました。
中学生頃のエピソードを教えて下さい。
塾で英語講師をしていた恩師に出会います。 その授業が面白くて、英語にハマっていきました。そこから言語の奥深さに興味を持って外国語学部に入学します。両親は、あんまり賛成してませんでしたけど笑。外国語の中で話者が多い割に学習者が少ないアラビア語を専攻し、その他に10ヵ国語ほどを学びました。ほんとに言葉が好きでした。
では、就職も英語が使える仕事を探しましたか?
就職活動に関しては、金融機関なども面接したのですが、その中で一番しっくりきたのが日本製鉄(当時は新日鉄)でした。世界規模の仕事もできそうで、ワクワクしました。しかし、入社してから言語を使う機会はなかなかやってきませんでした...
言語に興味があるのに室蘭で経理!?
入社して何をやりましたか?
23歳で入社をして、10年くらい国内にいました...
いきなり室蘭工場で経理をやることになりました。工場でコスト管理の部署に3年いました。その後、本社の営業部に異動して営業収益の取りまとめをしてから国内営業をやることになりました。地域の問屋さんに営業をする部署があり3年くらい営業をしていました。鉄鋼業は新規営業がほぼ無いので、既存のクライアントさんへの関係値を高めるような営業でした。この部署は相手が中小企業の社長さんだったので、普段は会えないような方々ばかりで、商売のいろはを勉強させてもらいました。
次はいよいよ海外ですか?
それから大分製鉄所に行き工程管理の仕事をしていました。加工や流通にトラブルが起きると、工程が増え納期が迫り、日々逼迫していました。もちろん遅延したら謝罪に行くこともありました。今まで経理やって営業やって...経験が無いことだったので大変でした。先輩もメンタルやられたり、常に血圧が高い状態が続き体調不良にもなりました。自分のスキルではどうにもならないことでトラブルが発生することのストレスというものを体験しました。その後、いよいよ海外で仕事をするチャンスがやってきました。
海外では何をしましたか?
ベトナムで駐在していました。厚板(あついた)という6mm以上の板製品を扱いました。壁の中に入っている鉄骨とか船の内部などに使われているものです。その他、鋼矢板という土木の基礎工事などで土が崩れないように使ったり、橋を作る時に水をせき止める役割を果たす製品も扱いました。その部材をベトナムで販売する営業をやりました。
ベトナムでは休みの日は何をしてましたか?
日本人はみんなゴルフしてました(笑)私は街歩きを楽しんでいました。しかし、コロナが起きてしまい街がロックダウンしてしまい、家から出られないような状況もありました。外に出れるときは、とにかく新しい場所に行ってブラブラしてましたね。
日本製鉄を退職して事業を開始した森さんですが
even if のイベントに参加したキッカケはなんですか?
なんとなく面白そうなイベントだなと思いました。私の場合、パートナー探しもありますし、自分の経験が役に立てるようなこともあるかなと思いました。自分の会社に正社員として雇うことは考えていませんが、転職についても相談を受けたら答えられることもあるのかなって。頼ってもらうのが好きなのかもしれません笑。
転職を考えている方にとってはどんなイベントだと思いますか?
転職って、転職エージェントの意向が強く入ってしまうんですよ。それがないのが凄くいいです。実態が見えていて。それに、迷っている人がいろんな企業の話を聞いて、その場で応募というかお話ができるっていうのが良い。あとほら、履歴書書くのがめんどくさいでしょ笑。そもそも履歴書っているのかな、こうやって話している中で聞けばいいと思います。
転職したい人がイベントに参加して、どうなっていくと思いますか?
こういう会社がよい、こういう会社では働きたくない、など見えてくるんじゃないでしょうか。転職の経験がない人にとっては本当に心強いと思います。参加する中で、同じように転職に興味がある人たちとのつながりや、企業とのつながりが増える中で方向性がしっかり定まって、安心した気持ちで転職ができるようになると思います。